威徳寺 | 千葉県銚子市 | 真言宗智山派
威徳寺は円福寺(飯沼観音)の末寺で、明治二十二年一月十一日に火災により灰燼に帰し、同四十四年現在の地に再建しました。 寺伝によると、創立は嵯峨天皇弘仁元年(810年) 弘法大師東国遊化の砌り、下総国銚子港荒野袋町(現 銚子市双葉町) に草庵を結び 本尊薬師如来の尊像を自ら彫刻せられ安置し給いてよりはじまります。
『 清和七年(864年) 益信大徳、京より当寺へ来たりて、堂宇を増築、不動明王の尊像を安置する。 天歴元年(947年) 空也上人当寺の草庵に来り 一宇を造し、彌陀の尊像を安置 念仏三昧を修し諸人教化し給う。 これ空也坊の始にして後に荒野坊と称したと伝えられる。 往古には当寺は地化寺と称され、境内には明暦年間(1650年頃) に再建された本堂をはじめ、 薬師堂、観音堂、閻魔堂、二重塔、鐘楼が立ち並び、 圓妙院、不動院、千手院、龍性院、自性院、普門院、地福院の七坊の塔頭を有し 白幡神社の別当職を兼ねる一大巨刹として栄えるが、 明治維新の廃仏毀釈により一時衰微する。 更にまた、 明治二十二年(1889年)一月十一日火災により堂塔ことごとく廃塵と化したが、 明治四十四年(1911年)、大本山 高尾山薬王院の援助、檀信徒の努力により現在地に移転再建される。 』
現在当寺には、旧地より移築された金毘羅宮(瑠璃光殿内) が境内北東に祠られており、 市内の漁師さんによって篤く信仰されています。毎年一月十日、十月十日の大祭には大護摩供法要を厳修し、 漁師さんはもとより 近隣の信者さんの信仰を頂いております。 この瑠璃光殿は、移転再建八十八周年記念行事として 平成十年(1998年)の十月十日、 檀信徒の皆様の多くの浄財により落慶にいたりました。第二客殿瑠璃光殿は、葬儀式場・家族葬式場としても使用されています。境内には墓地および永代供養墓も設けております。 また当寺は、東総四十九薬師第十九番霊場、新四国八十八ヵ所第三十番霊場、 銚子八ヵ所不動第六番霊場の各札所であり、 大本山高尾山薬王院の法類寺として大本山高尾山薬王院銚子大盛講本部が、置かれております。